ほんの日記|2021年4月

(平置きが読んだ本、奥が買った本)

◎読んだ本◎
『山と人』『仙台本屋時間』『USO 2』『戦争は女の顔をしていない』『さちえ365』『桃頭』『やさしくなりたい 02』


4月1日(木)晴れ

新年度、だからといって特に変わることはない。「去年の今日アベノマスクが発表されて、エイプリルフールかなって笑っちゃったよね〜」と母が言うので、もう一年経つのかとびっくり。アベノマスクは引き出しにしまったまま、たぶん今後も使うことは無いと思う。
黄砂も落ち着いたので、今日から外のベンチでお昼を食べる。ホルンでスパイシー芋天とドーナツとチャイをテイクアウトして、ついでに『仙台本屋時間』、坂口恭平の『お金の学校』も買った。風が暖かい。芋天が美味しくて、むかし祖谷で作っていたこんにゃくの唐揚げ五香粉風味を思い出す。また作ろうかな。作っている時の、五香粉の香りが好きだった。ずいぶん前に途中まで読んでそのままになっていた石川さんの『山と人』を再び、また最初から読む。あれ?なんだこれものすごく良い。前に読んだ時は流し読みしてしまっていた一つ一つの言葉が心地よく流れ込んでくる。山と人に関する考察も面白いし、何よりも、とめどなく溢れる好奇心とそれを書きたいという気持ちが伝わってくるようで、なんだか読みながら嬉しくなる。改めて読めて良かった。

4月2日(金)

休業中のカネイリで『愉快のしるし』を売ってもらう。レジが打てないから現金で。持った感じ、重さも佇まいも素敵。読むのがたのしみ。
ニュースで見た台湾の列車事故に胸が痛む。蔡総統が「真相が明らかになる前に過度の憶測をしないように」と言っていて、ああこれが台湾だなと、言葉に信頼があることにふと安堵する。

4月3日(土)晴れ

ひどく落ち込むことがあり、ずどーんとした気持ちの休日。元気が出ないので久々に萬葉堂へ。想田和弘監督の『観察する男』、長田弘のエッセイ『わたしの好きな孤独』、あと『あの素晴らしき七年』というクレストブックスの本、3冊で2400円。ブックオフだと1冊220円の本ばかり買うのに、萬葉堂だと割と高い本を買ってしまう。

4月4日(日)小雨

休日。用事があって仙台へ。電車に乗るのが先月の地震の日以来だったので(電車が立ち往生して線路の上を歩いて帰宅)、Suicaで改札を通ろうとするとピーっとエラーになってしまった。駅員さんに事情を話すとあっさり入場履歴を取り消してくれたので、いわきからの電車代数千円が浮いた。ちょっとラッキー。
休日に街中に来ることがあまりないので、ふらふらと散歩をする。金港堂で『3.11はどう語られたか』と、小森さんが寄稿している岩波ブックレットの震災特集号を買う。ボタンでは、丹治さんに教えてもらった『三春タイムズ』、そして『USO』という雑誌、今井麗さんの画集『gathering』を買った。画集、買おう買おうと思っているうちに完売してしまい、もうすぐ新装版が出るらしいから今度こそと思っていたのだけど、初版のほうがデザインが好みだったので、見つけた瞬間うれしくて思わず抱きしめた。
一息つこうと思ってアエルのホシヤマ珈琲を覗いていると、どんな店かも分からないまま席に案内されてしまい、一番安いブレンドが1320円で動揺。優雅すぎる雰囲気があまりに場違いでつい笑ってしまう(リュックにスニーカーという格好だった)。メニューを置いて視線をあげただけでスタッフの方がこちらに歩いてきて注文を尋ねてくれる。ホスピタリティすごい。1320円あったら本が買えるなと思いながらも、仕方がないのでのんびり過ごすことにする。せっかくなので長居するぞと思い、『仙台本屋時間』を一気読みする。志賀理恵子さんのエッセイがとっても良かった。タイトルに込められた思いにも心打たれる。県外にいる友達に、コロナが落ち着いたら仙台においでよっていう気持ちを込めて送りつけようかな。
店を出てぶらぶら歩きながらも、昨日の落ち込みをずっと引きずっている。そして、落ち込んでいるときに薬になるのはやっぱり言葉だなと思う。本を作る(そして売る)と言うことをやってみて今更ながら感じることは、大切な人からもらう感想や、知らない人から届く言葉がすごく励みになるということで。だから、わたしも何かを良いと思ったらできるだけ言語化して伝えていきたいと改めて思う。硬く刺さった釘をゆるめられるかもしれない言葉を、誰かが今日を生き延びるための助けになるかもしれない言葉を、間接的にでも伝えられたら。良いと思ったものをその瞬間に良いと言えない環境をいくつか経験したことがあるから、それができる今は幸せなのだということも考える。

4月5日(月)雨のち晴れ

昼休み、昨日ボタンで買った『USO』を読み始める。最初の野口絵里さんの小説でがつんとやられてしまい、昼休みに泣きながらカレーを食べた。とても良かった。泣いたという言葉で感想を語ることはあまりしたくないとは思いつつ、でも涙が出るってすごいことだよなとも思う。言葉が読み手の経験や感情に強く作用することは、たぶんそんなにありふれたことじゃない。何の感想も抱けないものもたくさんある中で、心を動かすことは稀有なことだと、憧れとすこしの切なさを込めて思う。同時に、人の経験や感情は本当にそれぞれに固有のものだから、たとえわたしがつまらないと感じたものであっても、それが誰かの心を強く揺さぶるものであるかもしれないということは忘れずにいたい。退屈だと切り捨てられたものの中にも、誰かにとっての切実さがあるはずだ。たとえ切実さの度合いに優劣があったとしても。

4月9日(金)くもり時々雨

小雨の朝。東の空は明るくて、遠くで海が金色に光っていた。昼休みに喫茶店で『USO』の続きを読む。一日2篇くらいのスローペースで読んでいる。とても良い。
ずいぶん陽が長くなり、17時に仕事を終えると外が明るい。まだ肌寒いけど、もうすぐ終わってしまう桜を愛でようと思い立ち、マフラーをぐるぐる巻いて近くの公園に行った。ぶらぶら散策していると川沿いを歩ける道を見つけたので、川辺まで下りてみる。夕日で水面がキラキラ光っていて、水の音が気持ち良い。階段に座って読みかけの『USO』を開いて読む。あとがきに差し掛かるところで、目の前の茂みから「ガーッ、ガーッ」と何かの鳴き声が聞こえた。鳥?カエル?姿が見えないのでわからない。しばらくすると声は消えた。ちょうど体が冷えてきたので、また公園を通って車に戻る。
夕暮れの川辺で読書、とても良い時間だった。日常の逃げ場を見つけたようで、ほっとして心が緩む。仙台の街を少しは好きになれるかもしれない。明るい時間に帰れる日は、またここで本を読もう。今度はノンアルでも持って。

4月10日(土)晴れ

『USO』の中の北尾修一さんのエッセイの中に出てきた『戦争は女の顔をしていない』。長らく積読になっていたのを、昼休みにカレー食べながら読み始めた。まだ十数ページしか読んでいないのに印象的なことばがたくさん出てきて、すでにふせんだらけになっている。すごい、こういう言葉を読みたかったんだよずっと!と興奮しながら読み進める。この本を日本語で読めるようにしてくれたすべての人たち本当にありがとうという気持ちが溢れる。名著と言われているものはやっぱり名著なんだなと、去年『アンネの日記』を遅ればせながら読んだ時のようなことを思った。
帰宅すると、アサノさんから山尾三省の『アニミズムという希望』が届いていた。ああうれしい。これまでと違った雰囲気の装丁が新鮮。今回の本にはどんな言葉が書かれているんだろう。
まどをあけるのオンラインショップに、大学時代の恩師から注文が入っているのを見つけてそわそわしている。緊張しながらも、10年以上ぶりに別な形で再会できるのかもしれないと思うとなんだかワクワクする。コロナじゃなかったら同窓会でもしたいな。「コロナじゃなかったら」が積もる日々。

4月11日(日) 晴れ

休日。一歩も外に出ない一日。高橋源一郎の飛ぶ教室(ラジオ)を聴きながら寝た。

4月12日(月) 晴れ、強風

休日。『戦争は女の顔をしていない』は半分あたりまで読み終わった。本当にすごい本。このまま『チェルノブイリの祈り』も読もうと思い丸善に寄ってみたが置いていなかった。

4月13日(火) くもり

ぬるい風。ツイッターで炎上している新今宮ワンダーランドのサイトや記事を見ていろいろ考えてしまう。こういうものへの嫌悪感はそのまま自分に返ってくるような感じがして堪える。この種の搾取に加担せずにいることって、意外と難しいような気がする。ある目的があるとき、与えられた条件の中でできることをするという思考に慣れていると、それが倫理的に問題ないのか、誰かを傷つけないか、利益云々の前に確認すべきことはないか、という視点が抜け落ちることがあると思う。与えられたミッションのために仕事をしただけでまったく悪気なんてない、ということは世の中に本当にたくさんある。当事者が置き去りになっていても、それが数値に反映されなければ議論の対象にもならない。
仕事帰りに近所のブックオフに寄る。少年アヤ『ぼくは本当にいるのだ』と、今更ながら『ペスト』を買った。去年なかっちゃんが面白かったと言っていたことを思い出した。
今日一番のトピックは『やさしくなりたい』というZINEを知れたこと。かつて在宅で文字起こしの仕事をしていたときに担当したインタビューの内容がすごくよくて、いつか掲載誌が発売されたら絶対に買おうと思っていたものの、媒体名や発行人の名前を知る手がかりがなくて見つけられずにいた。それが今日小森さんのSNSで紹介されているのを見て、うわ〜〜これだ〜〜〜〜!とすぐにわかって興奮しながら即注文。読みたかった創刊号はもう品切れらしく、買えたのは発行したばかりの2号だけだけど、届くのが本当に楽しみ。

4月17日(土)雨

寒い。高橋源一郎の飛ぶ教室を聴いていたら、エリックホッファー自伝が読みたくなった。
帰宅すると小包がふたつ届いていた。あっこさんからクッキーと、池上さんから365出版の本。どちらもすごくうれしくて、ふたりに手紙を書こうと思う。

4月18日(日)晴れ

休日。のんびり3度寝くらいした頃、9時すぎに地震で目が覚めた。ガタガタが次第に大きくなっていき、慌てて一階に駆け下りる。震度4、津波の心配はなし。
昼前に家を出て、閖上から復興道路を北上して塩釜へ。この新しい道ができてから塩釜方面に行くのがずいぶん楽になった。嵩上げされた道路は見晴らしが良く、いつも空の広さに驚いてしまう。ビルドスペースで浅野さんの展示を見る。ちょうど在廊していていろいろ教えてもらう。浅野さんの絵を見ていると、世の中が、世界がすごく良いものに思えてくる。繊細だけどのびのびしていて、何度見ても発見があって、何度見ても幸せな気持ちになる。こういう絵は言葉が通じなくてもきっと伝わるんだろうな。浅野さんは奇跡みたいな人だといつもこっそり思っている。
塩竈神社の桜は満開だった。ぼたっとした重さのある、お姫様みたいな華やかな桜。塩竈桜は遅咲きなのだと一緒に行ったKさんが教えてくれた。境内は森のいい匂いがした。

4月19日(月)晴れ

デスクワーク中に眠気に襲われてうとうとしていると、ミシッと揺れが来て「んっ」と変な声を出してしまった。また地震。震度3。
『戦争は女の顔をしていない』をついに読み終えた。すこしずつ、10日かけて読み切った。もっと早く読めばよかった〜と思いつつ、言葉を追いながら思考をめぐらせるその経験はすごく個人的なもので、そこに早いも遅いもないよな、とふと思う。同じ本をどんなにたくさんの人が読んでいたとしても、その言葉に初めて出会う瞬間は誰のものでもないその人だけのものだ。

4月20日(火)晴れ、夏のような暑さ

急に暑い。お昼にオムライスを食べながら、池上さんの日記本『さちえ365』を読んだ。池上さんの文章を読んでいる時の多幸感って何なんだろう。心が喜びながら泣いている。言葉に漂ういろいろなものが目の奥のほうに直接届くような感じ。延々読んでいたい不思議な魅力。左脳でしか表現ができないわたしは、池上さんの書くものにずっと焦がれ続けるんだろうなきっと。大好きだ。

4月21日(水)晴れ

朝すこし早く着いたので、ベンチで『さちえ365』の続きを読む。断片的な日記がやわらかくつながっている。池上さんの言葉は、最近よく見る「感謝しかない」「違和感しかない」とか、そういう排他的な強調語みたいなものと対極にあるもののような気がする。喜びも悲しみもうれしさも寂しさも、言葉にできない感情もぜんぶ、ぜんぶ肯定してぱらぱらと置いて、すこしだけ形を整えてそのまま眺めるみたいな。うまく言えないけどそんな感じ。
仕事終わりにブックオフに行き、目当ての『チェルノブイリの祈り』を無事に買えて満足。あとは『朗読者』、『いっぴき』(高橋久美子)、そして『結婚の奴』を買った。
『戦争は女の顔をしていない』の余韻が薄れてしまう前に独ソ戦のことをちゃんと知りたいと思い、夜にいろいろ調べていると、家庭教師のトライのYouTube動画に行き着いた。受験用のわかりやすく単純化された大枠の歴史授業だから、アレクシエーヴィチさんの本の内容とはまったく質の違う情報だけど、そんな大枠の歴史すらわたしはあまりにも知らない。高校時代何してたんだと思うと同時に、学校の授業は近現代史をないがしろにしすぎなのではと大人になってからよく思う。古代よりも中世よりも、もっと直接わたしたちに関わる歴史を時間をかけて教わりたかった。

4月22日(木)晴れ

篠原くんの同人誌『桃頭』。3人のエッセイと小説と旅行日記、それぞれとても良かった。他人の記憶を文章で読んでいるときに、読んでいるわたしの頭の中にも情景が浮かんでいるけれど、思えばそれってなんだか不思議だ。わたしはその場所に行ったことがないしその人に会ったことがないのに、勝手に脳内でイメージを作り上げていて、たぶんそのイメージは実際とは全然違うんだろうけれど、わたしの中では物語がもうできあがっている。その物語は誰のものなんだろう。

4月23日(金)晴れ

出勤前に路地を歩いていたら、いつもよりいろんな匂いがしてさわやかで、ああなんて気持ちが良い日なんだろうと思ったのもつかの間、マスクを忘れてきたことに気づいて慌てて取りに戻る。せつない……。
昼休みに『やさしくなりたい 02』を読み始める。能町さんのエッセイだけ読み終えた。面白いし、誌面にただよう空気がなんだかとても良い。
祖谷のPR映像が公開されましたと大楽さんから連絡をもらったので、晩ご飯を食べながら見る。美しくて光がきれいで、ため息をつきながら何度も再生した。思えば祖谷で暮らした時間は1年にも満たない。それも今となっては夢のようで。でも、今こうして過ごしているあいだにも祖谷では無色透明な時間が流れているのだと想像できることが、ささやかなお守りのようになっている気がしている。

4月26日(月)晴れ

夜にかよちゃんのnoteを読んだ。すごく良くて、読みながら『仙台本屋時間』に載っていた志賀理江子さんのエッセイを思い出したので、ふたたび開いて読む。「本屋は本を超えている」という言葉が心に残る。この言葉をかよちゃんにも読んで欲しくて、小鳥書房のリニューアルオープンのお祝いにささやかだけど贈ることにする。本棚から抜き出したそれをビニールに包んでレターパックに入れてしまったので、自分用にまた買い直さなくては。
かよちゃんの日記も更新されていたので読んでいると、ふいに自分の名前を見つけて思いがけず泣いた。「日記とは声のない会話のようなものなのかもしれない」前にもらったメールにも同じ言葉が書かれていた。最初に読んだ時はピンと来なかったかよちゃんの発見が、今度はすっと腑に落ちてわたしにとっての発見になる。声のない会話。今書いているこの日記も誰かとの会話になったらいい、そういう気持ちで書き始めたのに、無差別にひらいていくのが怖くて結局閉じてしまった。でもきっと何か良い塩梅があるんだろうな。無理なく、声のない会話ができる形を模索している。

4月27日(火)晴れ

昼休み、深夜枠のラジオ「街の小さな文学賞」に実行委員として出演(事前収録)。内心、私なんかよりもっと適任いるのにと恐縮しつつも、その感じを電波に乗せても仕方がないのでひとまずドヤ顔でしゃべる。あんなんで大丈夫だろうか、心配。とはいえおしゃべりはとても楽しかった。電話なので顔も見えず、受話器越しに向こうの景色をめいいっぱい想像する。

4月28日(水)晴れ

同僚の家の裏のラーメン屋が火事で全焼したらしい。古くて素朴なお店だったと写真を見せてくれた。良い店ですねぇ、行きたかったなぁと言いながら、むかし行ったラーメン屋のことを思い出した。
営業の仕事をしていた頃、美味しいラーメン屋があるからご馳走するよと取引先のバイク屋の店長に言われ、仕事終わりに待ち合わせをして行った。彼にとってわたしは友達で、わたしにとって彼はお客さんだった。あの頃は毎日激務で疲れ切っていて、正直早く帰って寝たいと思っていた。でも出てきたラーメンが飾り気のない中華そばで、素朴でやさしくて、ちょっと涙が出るくらい美味しかった。店長は、わたしがお店に行くといつも近くの自販機でデカビタをおごってくれた。なぜかわたしの好物ということになっていた。カウンターに座ってデカビタ飲みながら、ただただ店長の不摂生な生活ぶりを聞いて、いやそれダメでしょ、ちゃんと寝てくださいよ、野菜とかも食べて、みたいなことを毎度言い続けるという、すごく不毛で、今思えば愛おしい時間だった。『BE-PAL』というアウトドア雑誌が全号揃っていて、それをたまに何冊か借りて読んだりした。焚き火特集が面白かった。
会社を辞めてから少ししたころに後輩から連絡があり、店長が交通事故で亡くなったことを知った。「あの子(私)に伝えておいて」と店の常連の誰かが会社に連絡してくれたらしい。またお酒を飲んで運転したのかもしれないし、まともに寝ていなかったのかもしれないと思った。事故現場は馴染みのある交差点で、バイクで右折しようとして車と衝突したらしいが、この話は誰から聞いたんだっけ。わたしの想像か思い込みかもしれない。頭に浮かぶ情景が誰の記憶なのかわからない。お墓の場所を知らないから手を合わせることもできなくて、お店に行ってみたけどがらんどうだった。だからいまでも実感がなく、このままぼんやりとした記憶だけが残るのだと思う。素朴なラーメン屋を見て、BE-PALを見て、デカビタを見て、今でも店長を思い出す。店内のオイルの匂いまで蘇る。
今度あの場所に行ってまだ自販機があったら、デカビタを買って飲みたい。

4月30日(金)晴れ

雨上がりの晴れ。あったかい。いつもと同じ時間に家を出たら道がずいぶん空いていて、ああ世の中の一部は連休に入ったんだなと知る。早めに着いたのでベンチで『やさしくなりたい02』の続きを読む。尾崎世界観さんのインタビューがとても良かった。
定禅寺通りは風が吹くたびにケヤキから落ちてくる樹液のお陰で、地面がペタペタしている。気づけば本の中のページもペタペタしてる。季節を閉じ込めた感。

ゆり
元書店員、現在は文化施設の職員をしています。「ほんの日記」は、毎日書いている日記の中から読書記録などを抜き出したものです。